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日本の和美を様々な場面で探してみる。そんな場所です。


by irokeseikatu

琉球簪

琉球簪


昔のままの簪を造り続ける金屋又吉工房。
工房は民家が密集するL字型の小道の角にある。



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「どこから来た?」
と、作業をとめて、興味深そうにこちらをみる、おじいがひとり。
彼が又吉健次郎さんだ。彼の前に切り株があり、これが作業台のようである。
先代から引き継いだ道具のひとつで、この上で、銀を打ち、簪を造り続けている。
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「昔の形を後世に伝えることが、金細工師としての勤めだよ」
そういいながら、バーナーで金細工※を伸ばしていた。
※金細工の金は金物の意味。

健次郎さんは7代目。廃藩置県が行われるまでは、首里城の守礼門の前に工房があった。第2次世界大戦後、歯ブラシの柄をダイヤモンドカットし、銀の台座に埋め込んだ指輪を米兵相手に売っていたこともあるのだという。

健次郎さんが造りだすジーファーは、沖縄の女性が結い上げた髪に刺す一本のかんざしのことを指す。
片方の先端がスプーンよりぐっと深くえぐれた形をしていて、そこからしっかりとした竿がすっと伸びる。
無駄を省いた形。
銀を打って作られたこのかんざしは、女性の姿をかたどっているそうだ。
スプーンの部分は、女性の頭にあたり、伸びた竿は女性の体だという。
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ジーファーは、島の女性たちが24時間身につけており、いわば、その人自身とも、信じられてきた。
女性を模した簪。まさに分身である。
例えば、火事が起きたとき、燃え盛る火の中へ、ジーファーを投げ入れたら、炎がおさまったという話もあるそうだ。

沖縄の女性にとって肌につける貴金属は装飾という意味だけでなく、自分の内なる精神がぎっしりつまった思いの証なのだろう。
ちなみに、王族は金、貴族は金、庶民は貝や木のジーファーであった。ここに、琉球王朝のなかの位の差が見えるが、金物でなく、木で作られたものであろうと、持ち手がそこに託すものに変わりはないのだと、現代の金細工職人、又吉健次郎さんは考えている。

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ちなみに、琉球王朝のジーファ-には、素材によって身分・階層が一目でわかるように定められた制度があった。
男の本簪は、六角形の竿の頭部に花型がついていて、全長約10センチ。国王のは金製で花の部分が龍の模様。王子、按司、三司官は金、親方は花が金で茎が銀、一般士族は銀、平民は真鍮。貧しい農民は木製の簪を使っていた。
男は欹髻(かたかしら)という髪の結い方をし、髪差)と押差で髪をとめた。
この簪の制ができたのは、1509年、尚真王33年、尚王朝が支配体制を整えようとした時代である。だから、男が本簪と押差、女が本簪とそばさしを使うという風習は、それ以前からあったといわれている。
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女の本簪は漢字で起花と書く。ジーファーも身分によって使用できる素材が定められていた。型は男と同じく六角形だが、長さは約一七センチと男のものより長い。
簪の制はや衣服とともに身分を一目でわからせるものだったが、時代の変化とともに乱れが生じた。尚王朝の解体後、男は簪を使わなくなり、女のだけが残った。

現在ジーファーを日常的に使う女性はほとんど見かけない。琉舞を踊る女性は頭を昔風に結う必要があるからジーファーを使う。琉舞が現代に伝わったので、ジーファーをつくる技術もかろうじて伝わっているといってもいいだろう。
六角形の銀製のジーファーはシンプルで美しい。凛としたその姿は、昔の琉球王朝の女性の美しさ、強さが見えてくるようである。

「昔のままのものを伝える。これがわしの使命」という又吉健次郎さん。何人も彼の工房に弟子が訪れた。でも、皆、昔のままの形を自分の感性で変化させ、発展させた。そうなると、又吉の金細工ではなくなる。
「わしよりも感性もいい、器用な人も大勢おった。その人たちは、伝統業を元に自分のジーファーを造り出した。それはそれでもいい。ひとつのジーファーだ。でも伝統ある琉球ジーファーではない。別物。だから、彼らには独立してもらった。わしは、昔のまんまの形、伝統、精神のジーファーを造る。これがわしの使命だし、与えられた仕事なんだ」。
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現在、琉球ジーファーはオーダーしても手にはいることは、ほとんど不可能である。
「一日何本もできるもんじゃない。一本一本精神を込めてつくると一本つくるのに何日、何ヶ月つくるかわからない。世の中は早く早く、いっぱいいっぱい、というのがあたり前になっているけれど、そんな気持ちで造ると作り手の心がはいっていない、ただの金属の塊だ。それはジーファーではない。だから、琉球ジーファーの注文は受けられないんだよ」。

そういって、健次郎さんは切り株の上のジーファーを伸ばしだした。



琉球ジーファーとは、モノがもつ思い、造り手の思い、そして、琉球の伝統や歴史などが理解できたとき、縁があれば、手にすることができるかもしれない。

まだまだ、琉球ジーファーは遠い存在である。


※※琉球ジーファーは手にいれられなかったが、又吉さんのご行為で、飾り結びのジーファーを造っていただいた。大事な一本である。

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by irokeseikatu | 2007-02-28 15:37